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古代人の米の食べ方~平安~戦国時代~現代へ

古代の人ってどんな風にお米を食べていたんでしょうね。
文献を見ていると、「強飯」とか「乾飯」などよく目に付きます。
特に戦国時代とかの携帯食の記述に「乾飯を湯漬けにして食す」なんて事が書かれてたりします。

簡単にまとめてみると・・・

[焼米(やきごめ)]
 古代の日本人は米をモミのまま焼いて食べていた?
遺跡の出土遺物から推測された資料によると、
調理法は、収穫直後の生のモミや、乾燥した後、モミがらがついたままのお米を、何の加工もしないで火であぶり、モミを取ってそのまま食べたり、湯茶につけて食べた。と書かれています。

[強飯(こわいい/こわめし]
 最初の「強飯」は、モミを蒸したもの。その後、モミを玄米にした後に蒸すなど、食べやすい方法を考えました。さらに少しずつ白米にする度合いを増していき、今のような白米で「強飯」をつくる形へとたどりつきました。現在では、「強飯」は普通「モチ米」でつくりますが、古代では「モチ米」ばかりでなく「ウルチ米」も多く使ったようです。
現代でもおはぎなどよく半々で作りますね。

[乾飯(ほしいい)]
 旅行時や戦争時など、調理器具を持って行くことができない時に、蒸して乾燥させた米を持って行き、水に浸してふやかし食べました。
現代のインスタントのルーツはここにあったのでしょうか(笑)

[粥(かゆ)]
 平安時代には「強飯」に代わって、おかゆが米の調理法の主流となりました。お正月に食べる七草がゆは、雑炊のルーツとして知られています。ウルチ米を鍋や釜に入れ、水をたっぷり加えて炊きます。平安・鎌倉時代の中流階級以下にとっては、お米にさまざまなこくもつを混ぜて食べるのがふつうであり、ムギ・アワ・山イモ・アズキ・野菜類などを混ぜておかゆにしました。
囲炉裏端で皆で火を囲み食べていたのかな。

[握飯(にぎりめし/おむすび)]
 握飯に関しては、現在と同じように弁当として用いられたという記録が残っています。


調理方法を頭に浮かべながら遺物を見ていくと、遺物の理にかなった形に
古代人の知恵を垣間見ることが出来ますね。

                               参考サイト・・・お米あれこれ百科
by pamshide | 2007-02-14 04:05 | 古代の話
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